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すし匠の中澤氏が惚れた「王の魚」、Moiを徹底解明



モイという魚をご存知だろうか。ハワイ通の方は現地で召し上がった事があるかもしれない。ハワイで「王の魚」と呼ばれるモイは現地の高級レストランで引っ張りだこだ。

2016年秋口にザ・リッツ・カールトン・レジデンス・ワイキキ・ビーチ内にオープンした「すし匠」で握る中澤圭二氏も、ネタの一つとしてモイを扱う 。日本一の江戸前鮨職人とも言われる氏が可能性を見出した魚、モイの詳細に迫る。

生態

スズキ目ツバメコノシロ科で、和名はセイヨウアゴナシという。モイ(Moi)はハワイ語であり、英名はSix-Fingered Thredfin。胸から6本の長いヒレが生えている事に由来する。水深1〜50mの岩場または砂場に生息し、その長いヒレを使って海底の餌を探す。小さなアゴと大きな目、流線型の銀色の身体に大きな尾ヒレが目立つ。ハワイ周辺に生息し、体長は成魚で約45cmほど。

歴史的位置付け

まだハワイが王国であった頃、モイは王族や支配者階級しか口にする事が出来ない特別な魚であった。あまりの美味しさの為モイは厳重に保護され、平民が食べると死刑であったらしい。数を減らさないために、その時代より既に養殖が行われていた。養殖池から王のもとまで生きたままモイを運ぶ事を生業とする者もいたという話もある。KonaからHiloまで(ハワイ島の左端から右端まで)約100kmの道のりを走らされた者がいるという逸話が残っている。

モイは通常単独又は小さな群れで生活するが、稀に大群で目撃される事があり、古代の王たちはこれを災いの予兆とした。 モイは単なる美味しい魚以上の、神聖な価値があった事がうかがえる。こういった歴史ゆえに、モイは今でも王の魚や幻の魚などと呼ばれる。

珍重された歴史を知れば、モイがどれだけ美味であるか想像に難くない。しっかりと脂が乗っているためどのような調理法にも向き、しっとりとした口当たりに仕上がる。身は生の時点では灰色がかった白で、火を通すと白くほぐれる。現代では刺身を含む様々な料理として供されるが、塩漬けや干物に加工したり、ティーリーフ(千年木の葉)で香りをつけて焼く方法が伝統的。

価格

90年代は1ポンド(約0.45kg)あたり$14〜16であったが、現在では努力の甲斐あって1ポンドあたり$6.5程まで下がった。

放流

前述の通り、モイは古代から養殖によってその数を保つ努力がなされてきたが、王政の崩壊による乱獲や地震による養殖池の損壊、環境の変化のために急激に数が減少。状況打破を目指したハワイの研究機関の懸命の努力により、90年代にはモイを捕獲し、管理下で繁殖させる事に成功。その数を増やすために何千ものモイの稚魚がオアフ島から放流されたが、結果は出なかった。モイは成長の過程で性転換する。幼魚時代を終えると雄となり、雌雄同体の時期を経て雌となる。稚魚を放流しても雌になる前に捕獲されてしまったため、繁殖に結びつかなかったのだ。

その点古代の王族はモイの生態を正確に把握していた。成長過程の4段階それぞれに、モイ・リイ、モイ・マナ、パラ・モイ、そしてモイと異なる名前をつけていた。モイへの関心の高さを窺い知る事ができる。
放流する数にも注意が必要だ。少なすぎては意味がないが、多すぎては天然のモイの遺伝子プールに影響を及ぼしてしまう。もし養殖・放流されたモイが数で上回ってしまっては、結果的に繁殖率の低下や病気に対する抵抗力の低下につながる事が危惧される。現在はモイの放流は行われていない。

養殖

現在市場に出回るモイのほぼ全てが養殖だ。モイを含め、 ハワイの魚養殖には長い歴史があり、その方法は他の地域と少し異なる。浅瀬で岩を使って囲いを作り幼魚を囲いこみ、成魚となるまで養殖する。岩の囲いに成魚を入れて飼う方法は他の地域でも見られるが、高い技術と知識を必要とする幼魚からの飼育は、ハワイ以外では見られない。

代表的な養殖池の1つに、600〜800年ほど前にオアフ島に作られたHe’eia Fishpondがある。2km以上の岩の壁に囲まれており、広さは約0.35㎢。百や千の単位の住民が2〜3年がかりで作業して作りあげたと計算されている。

伝統的な養殖池の多くが地震などの災害や環境の変化により損壊していたが、90年代以降ハワイ各地で復興プログラムが活性化し、自然公園の一部として公開している場所もある。

また、技術の発展により、従来の池型の養殖だけでなく海洋に設置したケージの中で養殖を行うことも可能となった。そうして生産されたモイの多くはハワイで消費されるが、米国本土や海外の市場にも出荷される。

エピソード

モイを世界に知らしめた功績者は、世界にレストランRoy’sを展開するRoy Yamaguchi氏だろう。2003年の全米シェフ協会主催のコンテストでモイの姿蒸しを披露し、審査員をうならせた。Yamaguchi氏はその際のコメントでモイの歴史について言及している。「一度は激減した魚でも養殖産業発展の努力と革新によって持続できることを見せたかった。」

Yamaguchi氏の優勝の影響により、当時ケージを使った近海養殖によるモイの唯一の商業プロバイダーであったハワイの企業には、米国本土からの発注が殺到した。また、この時Yamaguchi氏が振る舞った醤油を使った中華風のモイの蒸し料理は現在でもモイ料理の定番となっている。

一方、中澤氏は米麹でモイを2週間発酵させ、赤シャリを合わせる事で、ハワイで長く厳しい歴史をくぐってきたモイの新しい一面を引き出した。世界の魚と日本の江戸前鮨の技術の融合を目指す中澤氏のワイキキでの挑戦は始まったばかりだ。



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