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浅井力也君、ハワイの自然と太陽の力を受けながら、油絵を描く

浅井力也君、彼は分娩時の事故で出産後は仮死状態となり、その蘇生後、脳性麻痺と診断された。その後遺症もあり、体に障害を追っただけでなく、会話もままならない状況であった。虚弱体質に温暖な気候がいいことを理由に家族でサイパンに移住した。そこでハワイの子供のための病院「シュナイダース・チルドレン・ホスピタル」の先生と出会い、それをきっかけにお母さんと4歳の力也君がハワイに移ってきた。障害はあるものの ある日、おもちゃ屋さんで見つけたカラフルな絵の具に強い興味を示したのがきっかけとなり、絵画に興味を示し、描き始めた。

その後、彼が7歳の時にハワイ美術院展で「二羽のピジョン」が入選し、その後も日本総領事章を受賞するなどし、10歳には東京芸術劇場で日本最初の絵個展を開催、画集も出版した。彼の油絵の多くは、ハワイの太陽の力や赤や黄色といった原色の花が多く咲くハワイならではのインスピレーションを受けているのか、明るい色合いのものが多い。ハワイは実に多くの人種が一緒に住んでいるところであり、違いを認めてそれぞれが生きているからこそ、障害をもった人にも生きやすいのであろう。実際公立学校でも小学校の頃より、精神的に問題がある子供、あるいは障害者に対してマンツーマンで、他の子供たちとなるべく一緒に授業を受けるような環境になっている。力也くんも高校まで、公立学校で、基本は障害のある子供たちで授業となるものの昼食や遊びは混合となるスタイルで卒業まで生活した。

しかし多くのことを諦めなくてはならなっただろう力也君、その才能を絵で開花し、多くの機会を得た。例えば、2002年には文部省検定小学校1年から6年までの「国語」教科書の表紙に12の作品が採用された他、トヨタ自動車カレンダーにも掲載された。ここ10年くらい日本とハワイを行ったりきたりしながら、力也くんは多くの個展を開催する他、国連のパネリストを始めとした社会奉仕活動、文化交流などにも積極的に取り組んできた。そんな中、パンデミックが起き、この3年間はハワイを出れず、日本にも行けず、個展も開催することができない日々が続いている。成長とともに油彩画を描くためにアート宣教師とのして活動する一方、マキキ協会のアトリエがある2階にも上がることがままならぬ生活を強いられている。
  

そんな中、チャンネル:Hawaii TodayをYouTubeで発信することを始めた。今世界はコロナ禍。前のように自由に行き来ができなくなったり、制限が出てきたり、同じ日本の中でも物理的だけでなく、心理的にも分断が広がる世界になってしまっている。そんな中、ハワイから力也くんは、絵画だけでなくyoutubeでもみんなに伝えたいことがあるという。これを見ることにより健常者である自分が恥ずかしくなることもあるし、また生きているだけでも素晴らしいことなんだと感じてしまう。コロナ禍で悲しいことや辛いことばかりではない、ある意味人生を考えさせる時間を与えられているのかもしれない。