ハワイの便利屋さん、Aloha Benryの代表、本多忠勝さんにお話を伺った。
日本では編集プロダクションに勤務し、毎日あわただしく過ごしていたという本多さん。2004年本多さんが27歳の時、日本で出会った彼女がハワイ出身、その後ハワイにやってきたことで将来が変わった。そのままその女性との付き合いが始まり、ハワイに残ることに。日本の編集プロダクションを辞め、学生ビザを取得してハワイの生活を始めたという。
当時3、4つの便利屋さんがあり、そこでアルバイトとして勤務していたが、諸々の事情で会社が倒産。その後転職と言う道もあったが、アルバイト時代に働いていた引っ越しや清掃業の仕事で終わった後に感謝され、やりがいにも繋がったことから、今度は自分で一から起こしてみようと思ったのが2006年だった。そこから本多さんの会社経営の日々が始まった。
立ち上げのもうひとつの大きな理由は、引っ越し業という業種の存在だった。引っ越し業者や運搬業は「ウェブで検索しても、ハワイの日本人による引っ越し会社というのは簡単に見つけ出せない状況だった」と当時の様子を振り返る。不動産会社が引っ越し業者などを持っていることがあっても、その引っ越し業者がウェブで一面に上がってくる状況ではない中、本多さんはそれに目をつけ、会社を起こすことにした。
壁の補修や水漏れの修理など、賃貸、売買にかかわらず、需要は確実にあるという。「特にハワイではバケーションレンタルや、ホテルの一室を分譲で抱える日本人が多く、住む人が変わるたびの掃除や、テレビなどの粗大ゴミの回収などが必要。日本では大きな家具を買うと、宅急便サービスがついていてそこまで運んでくれるのが当たり前のようになっているが、ハワイではまだそのようなサービスがなく、コストコや家具屋で買った大きなものは、トラックを借りたり、あるいはトラックを持っている友人に頼むなどの方法しかなく、アロハベンリーのような会社がやってくれると、とても助かる」という。
今は日本人スタッフも含め6名前後を抱えるまでに至った。会社を起こした当初は大変なことの連続。「技術もそこまでなかったし、資金もそれほどないところからの出発、またローカルスタッフの勤務態度に頭を悩ますことも度々あった。例えば急に休みを取る。お昼に家に帰ってご飯を食べるということだったが、予想より多くの時間をとってしまったり」と。日本の常識がここでは常識にならないということを思い知らされたようだ。
設立から11年、今ではハワイでの仕事も軌道に乗り、将来的にはLAにも支店を開けたいと思っている本多さん。「ロスにいる人もハワイにいる人も、日本人を選んで頼む可能性が高いと感じる」と今後のビジネスの抱負を語ってくれた。